デス・オーバチュア
第256話「緋色の女」




その存在は突然虚空より現れた。
虚空……解き放たれた深淵銀砲の銀光と、ラピスを抱えたノワールの間の空間に割り込む緋色の衣。
「馬鹿な……」
深淵の銀光は、緋色の衣から伸びた白き手の直前で停止していた。
「……大いなる深淵の大帝……裏世界の旧き神か……」
緋色の衣のフードから覗く口元が嘲笑するように歪む。
「失せよ、ここは汝の居るべき世界ではない!」
白き手が閃光を放ち、受け止めていた銀光をこの世界から完全に消滅させた。
「何……がああああっ!?」
巨大な銀砲が元の左手に戻ると、シャリト・ハ・シェオルの意志に逆らい、曲がらない方向へ関節を無理矢理曲げようとする。
「ノーデンスを強制解除? いや、狂わせたのですか?」
「おい、貴様は一体?」
「ノワール様!」
「ノ、ノワール、離れ……」
「うるさいぞ、土塊(つちくれ)共!」
緋色の衣を頭から被った人物が一喝すると、この場にいる全員が『硬直』した。
「ぐ……ぅ……ちぃぃっ…… 」
アンブレラのグラビティーシャドゥーやアニスの重圧殺のような上から押さえつける負荷とは違う。
「ぅぅ……ノワール……様……」
不可視の力によって体中の関節が曲がらない方向に力ずくで引っ張られるような感じだった。
「ふむ……」
ノワールが不可視の戒めに必死で抗おうとしているのに対し、コクマはかなり余裕ありげで、冷静に自分へ干渉する力を分析しているようである。
「ふん……」
宙に浮いていた緋色の人物がゆっくりと地上へと降り立った。
「……つ、くうぅっ!」
ノワールに抱きかかえられた瑠璃の額の宝石から、一条の青光が撃ちだされる。
だが青光は正確に目標を捉えられず、緋色の人物の横を掠めるように通過していった。
「……がふぅ!」
「無理をするな、瑠璃!」
「瑠璃様!」
瑠璃は血を吐きながら咳き込む。
「ええ、無理をしない方がいい……あなたが戦闘形態(バトルスタイル)をとれるのは約三分……しかも一度の変身でほぼ全精力を消耗し……再び戦闘形態をとるには三十分から数時間の休息を必要とする……随分と欠陥品な生物兵器ですね」
コクマは、皇牙との戦闘での瑠璃の分析結果を口にした。
「黙れっ!」
無数の剣の豪雨がコクマへ降り注ぐ
しかし、不思議なことに無数の剣はコクマの体をすり抜けて、背後の大地へと突き刺さった。
「何っ!?」
「馬鹿ですか、あなたは? 攻撃できるのなら向こうを狙いなさい」
コクマの視線はノワールなど眼中にないとばかりに、緋色の人物だけに向けられている。
「…………」
緋色の人物は小柄で、手も小さく、先程の声からも察するにおそらく女性のようだった。
彼女は特に何をするわけでもなく、ただノワール達を不可視の力で押さえつけ続けている。
「いいですか、ノワール? 『彼女』は私の味方でも、あなた達の味方でもありません。目につく全てが塵屑(ゴミクズ)……いえ、彼女曰く土塊に過ぎないのでしょう」
「土塊だと……」
結果的に、彼女の出現によってシャリト・ハ・シェオルの銀光から救われたノワールだが、
緋色の女が味方でないことぐらいは解っていた。
「だが、殺気や敵意もない……?」
そう、緋色の女はこうしてこの場の全員の動きを奪っておきながら、コクマ達にも、ノワール達に対しても欠片も殺気や敵意のようなものを放っていない。
「当たり前ですよ。目障りな塵が視界にあったとして、あなたは塵に敵意や憎悪を持ちますか?」
「何……どういう意味だ?」
「視界に邪魔な塵があった場合、普通とる行動は……」
「目障りだ、消えよ、土塊!」
「視界からの排除(掃除)ですよ」
「なあぐああああっ!?」
緋色の女が孤を描くように右手を振ると、凄まじい烈風が巻き起こり、ノワール、ベリドット、瑠璃を吹き飛ばした。
「……混沌黒刃解放(ブラックエッジオープン)!」
突然出現した巨大な黒刃が死角から緋色の女へ振り下ろされる。
「ふん」
緋色の女は左手の人差し指だけを立て拳を握ると、迫る巨大黒刃をその指一本であっさりと受け止めた。
「くっ!」
正確には緋色の女の人差し指は白く淡く発光しており、黒刃は白光に遮られ指自体には届いていない。
「今度は裏世界の魔王……窮極の混沌か……貴様もお呼びではない!」
「なああっ!?」
緋色の女が軽く左手首を回すと、シャリト・ハ・シェオルがクルリと回転し大地へと叩きつけられた。
「闇の彼方へ消えよ……暗……」
「爆っ!」
黒く輝きかけた緋色の女の左手が突然爆発する。
「爆! 爆! 爆っ! 大爆発っっ!」
緋色の女の全身が次々に爆発し、最後の大爆発の中に彼女の姿は呑み込まれて消えた。



「なかなか見事な念動作用(サイコキネシス)だったわね……」
緋色の女を爆破したのは、白衣を着込んだ青髪青眼の少女……メディカルマスター(医療極めし者)メディアだった。
「でも、わたしの念動爆砕(サイキックバースト)には比べれば……あらっ?」
爆煙が弾き飛ばされ、白く発光する半透明な膜で形成された球状の物体が出現する。
「……不可視障壁(サイキックバリア)?」
白く発光する球状の膜の中に一人の少女が居た。
年の頃は十六歳ぐらい、膝まで届く波打つ(ウェーブのかかった)白髪に、どこまでも青く深い蒼穹の瞳、淡雪ように白く繊細な肌。
一見、ノースリーブのチャイナドレスのような緋色の服は、腰の部分の側面が僅かに繋がっているだけで、側面が全開に等しく露出していた。
「ふん……神(我)へと通じる力か……」
緋色の女は自らを包む膜を掻き消すと、ふわりと宙へと浮かび上がる。
「あなたへと通じる力?」
メディアもまた不可視の力で自らの体を浮遊させて、緋色の女と空中で対峙した。
「然り……土塊が行う神の奇跡の真似事……其は神通力(じんつうりき)……」
「神通力? これはまた随分と極東風というか、古くさい呼び方をするわね……」
フッと微笑うと、メディアはゆっくりと右手を緋色の女へ向けて突きだす。
「散っ!」
右掌から無数の赤いメスが散弾のように撃ちだされた。
「ふん」
緋色の女の瞳が一瞬青く光ったかと思うと、無数の赤いメスは全て彼女の直前でピタリと『停止』する。
停止というより、まるで空中に『固定』されたかのようだった。
「お見事、やっぱり念動操作はわたしより上みたいね……でもっ!」
メディアがキッと睨みつけると、緋色の女の浮遊していた空間が唐突に爆発する。
「超能力(サイキック)の破壊力ではわたしの方が……」
「随分と攻撃に特化した通力(つうりき)だ……」
「ちっ、瞬間移動(テレポート)もできたのね……」
爆発が晴れると其処には誰も居らず、緋色の女はメディアの背後へと移動していた。
「フッ!」
お返しとばかりに、メディアは瞬間移動で緋色の女の背後へ移動すると、右手に握った三本の白銀のメスで斬りつける。
緋色の女の姿はメスが接触する寸前で空間から消失した。
「逃がさない!」
後を追うようにメディアの姿も消えたかと思うと、かなり遠くの空に緋色の女が出現する。
直後、赤い豪雨(無数のメス)が緋色の女へと降り注いだ。
「……神足通(しんそくつう)の勝負がしたいのか?」
赤い豪雨を降らせ続けていたメディアのさらに上空に、緋色の女が姿を現す。
「ふん、テレポート合戦なんて冗談じゃないわ……かったるい……」
メディアは嘆息すると、右手から白銀のメスを手品のように掻き消した。
「なんだ、もう終いか?」
緋色の女は少しだけ残念そうな顔をする。
彼女はメディアとの超能力合戦を『遊び』として楽しんでいたようだ。
「ええ……遊びはねっ!」
メディアはいきなり、両手の手刀を自らの胸へと突き刺す。
「何を?」
「あああああっ!」
勢いよく両手を引き抜くと、胸から赤い鮮血が盛大に噴出した。
「あは……あはは……血……血血血……私の血……こんなにも……赤い……紅い……朱い……赤い血いいいいいいいいいっ……!」
「む……?」
「ああ……あああ……あああああああああああああああああああああああっ!」
メディアは発狂したかのように奇声を上げる。
そして、彼女は弾けるように消えた。
「うっ!?」
鮮烈な赤い光が空を走り、緋色の女の胸元が切り裂かれる。
赤い光が走る直前、緋色の女は僅かに後退していたため、正確には切り裂かれたのは彼女の服だけだった。
「驚いた……空間を跳び越すより『速い』とは…」
空を蹴るようにして緋色の女が上昇すると、彼女の真下を赤い光が駆け抜ける。
「アアアアアアアァァァッ!」
奇声を上げながら、赤い光が縦横無尽に空を駆け回った。
赤い光の正体は、発光しているメディアの両手の手刀。
彼女は瞬間移動よりも速く激しく、空を駆けているのだ。
『事前』に動きを察知できなければ、緋色の女にも回避できない程の速さ……。
「……天眼通(てんがんつう)を使わなければ、この体ではとてもついていけぬ……狂獣(きょうじゅう)相手では他心通(たしんつう)も意味を成さぬしな……」
緋色の女は、一瞬先の未来を予知することで辛うじて、メディアの狂った獣のような動きに対応していた。
相手が普通の人間なら、未来視以外にも心を読むことで『先読み』が可能だが、メディアの心にあるのは本能的な『衝動』だけで覗いても役に立たない。
「アアアアアアアアアッ! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「さらに速度を増すか……」
直撃させていないにも関わらず、傍を通過する際の風圧や衝撃だけで緋色の女の服や肌が浅く切り裂かれていった。
「蠅が……つきあいきれぬわっ!」
「グウウゥ!?」
緋色の女を中心に白光が爆発した。
白光の爆発が、赤い光(メディア)を弾き返す。
「無明闇渦(むみょうあんか)!」
弾き返されて動きの止まったメディアに向かって、恐ろしく巨大な黒い渦が放たれた。
「ウウウッ!?……アアアアアアアアアァァァァァァァ……!」
メディアはその場から飛び離れようとしたが、黒渦は凄まじい吸引力で彼女を吸い寄せると、そのまま押し潰すように呑み込み、地上へと激突した。
黒渦は激突した地上を剔り取るようにして収束していき……やがて綺麗に消滅する。
「……他の土塊は失せたか……」
緋色の女が地上を見下ろすと、少なくとも視界内には誰も居なかった。
「…………」
彼女には逃げた者達を追う気も捜す気もまったくない。
元々、彼女にとって先程までの行為は戦闘でも殺戮でもなく、土塊達が視界を遮っていたから、無造作に払い除けただけのことだった。
例えるなら掃除、塵の方から勝手に消えてくれたのなら、手間が省けたというものである。
「ふん……」
緋色の女が両手を広げると、二の腕(肩と肘の間)から手首にかけてを着物の袖のような黒衣が覆った。
同時に、腰から足首までが、ふんわりとしたシルエットの黒いティアードスカートで覆い隠される。
その上、切り刻まれた緋色のチャイナドレスまでが綺麗に修復されていた。
「こんなところか……」
服の新調を終えた緋色の女は、ひらりひらりと風にひるがえるような感じで地上へと降下していく。
「ん、靴もいるか……」
地上に着地すると、裸足だったはずの両足に緋色の靴が履かれていた。
「さて……」
緋色の女は、爆音と轟音が聞こえてくる方向へ視線を送る。
「新しい土塊が湧く前に行くとするか……」
ゆっくりとした足取りで、緋色の女は音の発生源(ガイとフレイアの戦場)へと向かっていった。



「メディアちゃんも何しに来たんだか……好奇心が命取り……まあ、自分と同等以上の超能力戦士(サイキックソルジャー)と殺り合える滅多にない機会を見逃せなかったのは仕方ないと言えば仕方ないか……」
ディアドラ・デーズレーは軽く息を吐くと、広げていた聖書をパタンと閉じた。
「極東に来るついでに頼まれた伝言は済ませたのに、自分の本来の目的は果たせずに消える……まあ、人生なんてそんなものよね〜。正に、一寸先は闇って感じ〜?」
「そのことわざは不適切じゃありませんか? というか、あなたが言いますか? 一寸先は闇(未来のことは全く予測することができない)と……」
彼女にツッコミを入れたのは、コクマ・ラツィエルである。
「いいえ、この場合は適切なのよ。だって、彼女は『闇』の彼方に消えたのだから……」
ディアドラはクスリと意味深に笑った。
「どちらかと言うと、闇の彼方というより闇の渦でしたけどね」
コクマもまた意地悪げな微笑を浮かべて応える。
「コクマ、なぜ退いた?」
不満げな表情のシャリト・ハ・シェオルが尋ねた。
彼女(?)はまだ戦闘を続行したかったのだが、緋色の女の注意がメディアに向いた際にコクマが退却してしまったので、仕方なくそれに追従したのである。
「ん? そもそも戦う理由なんてないでしょう? 彼女はただ私達が目障りだっただけ、だったら視界から消えてあげればいいんですよ」
コクマは、シャリト・ハ・シェオルが何が不満なのか解らないかのように、ケロリと答えた。
「つっ……貴様にはプライドが無いのか?」
「そうだ! あんな馬の骨(素性の解らない者)相手に逃げるなど……竜族の誇りが穢れる!」
金髪巫女エアリスがシャリト・ハ・シェオルに同調する。
彼女もまた、メディアの後に続いて緋色の女へと飛びかかろうとしたところを、コクマに襟首を掴まれ強制的に撤退させられたことが不満なようだった。
「相手の素性、得体、『底』が解らない時こそ退くべきなのですよ、エアリス」
コクマは子供を宥めるように、頭を撫でながらエアリスを諭す。
「があああぁっ!」
子供か犬のような扱いされたのが悔しいのか、恥ずかしいのか、エアリスが顔を赤くして吠えた。
吠えたというより、正確にはコクマの手に噛みつこうとしたのだが、コクマはひょいっと手を引っ込めて、今度はエアリスの喉を指でくすぐる。
「にゃ〜……て、私は犬でも猫でもない!」
「はいはい、誇り高き黄金の竜ですよね、解っていますよ」
「ぐううう……」
怒っているのか悔しがっているのか恥ずかしがっているのか、エアリスはますます赤くなった。
「本当に可愛いペットね〜。御主人様に撫でてもらって、嬉しそうに尻尾振っちゃって……」
「振ってない!」
そもそも、エアリスは人型を取っている時は尻尾も完全に隠している。
「あはは、照れちゃって可愛い〜」
「ぐぅっ……喰い殺されたいか、人間!」
「それにしても、竜というのも面白い種ね」
降参降参と両手を上げながら、ディアドラは話題を変えた。
「む?……我が種を侮辱するか!?」
「いえいえ、そんなつもりは欠片も無いんだけど……異界竜は死ぬほど怖がるのに、より高次な存在の恐ろしさが解らないなんてね〜」
そう言って、ディアドラは意地悪く笑う。
「より高次な存在だと……?」
エアリスは異界竜の時と違って、あの緋色の女からは恐怖も何も感じなかった。
殺気も悪意も敵意もまったくなく自然体で、闘気も魔力も常人並み、エアリスにはそう見えたのである。
それが、メディアを弾き飛ばす時と黒渦で消し去る時だけ豹変した。
爆発的な神々しい力で弾き飛ばし、圧倒的な邪悪な力で滅する……善悪定まらぬ強大な存在……。
「じゃあ、私はこれで失礼するわ……黒天使さん、黄金竜ちゃん、縁が合ったらまた会いましょうね〜」
ディアドラが手にした聖書を開くと、中から無数の紙(ページ)が吐き出され、彼女の周りを取り巻いていった。
「ちょっと待て! 人……」
「長かった幕間劇も漸く終わりを迎える……願わくは、我が『予測』を超える結末であらんことを……」
取り巻く無数の紙が激しく荒れ狂い、ディアドラの姿を包み隠していく。
「あなたのテオゴニアにしろ私のアトロポスにしろ、所詮予測は予測に過ぎませんよ」
「ええ、そうね。最初の予測では異界竜を倒すのは天魔ではなくガイ・リフレインだったし、『彼女』が此処に現れることはなかった……彼女の目覚めは本来もう少し遅いはずだった……」
「ええ、少しズレてきているというか、本筋こそ変わっていないものの部分的にかなり修正されていますね……」
「なぜ彼女が早く目覚めたのか? 何がバタフライ効果的きっかけになったのか? 今回の結末は変わらなかったとしても、彼女が今回ここに来たことで次の物語の筋書きがどう歪むのか……フフフッ、楽しみね……」
「最悪、彼女によって全てが台無しにされるかもしれませんよ?」
「それこそ最高よ。先の読めない物語ほど面白いものはないわ……」
「物語に意外性ばかり求めるものではありませんよ。どれだけ意外性に富もうとも破綻してしまっては意味がありませんからね」
「では今回はこの辺で……ごきげんよう」
ディアドラの姿は、紙吹雪の中に完全に消え去った。










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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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